「誰がこの方をメシアと言うのか」
マタイ26:57〜68
今朝の説教より
「誰がこの方をメシアと言うのか」 マタイ26:57〜68
イエスさまが十字架につけられる前の夜のこと、祭司長たちは手下の者たちを遣わし、イエスさまを捕らえて連行します。その向かうところは、当時の大祭司カイアファの屋敷でした。このところへと律法学者や長老たちが集まります。大祭司は最高法院の議長として議会を召集したのです。
大祭司はイエスさまに尋ねます。「お前は神の子、メシアなのか。」イエスさまは「それは、あなたが言ったことです」と答えます。この方をメシアと言うかどうかは、問う本人こそが答えるべきことでした。一方イエスさまはこれから実現することを語ります。「あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る」。神からのメシアが神の右の座に着き、そこから天の雲に乗って来る。
大祭司らはこれを神への冒瀆として聞き、イエスさまを処刑することにします。そして明くる日イエスさまは十字架につけられ、死んでゆかれるのです。
マタイによる福音書はこの夜イエスさまが告げた言葉をわたくしたちへの希望として記します。それはイエスさまが告げたメシアとして、神さまがイエスさまを死から復活させたからです。今、イエスさまは神の右にいまし、わたくしたちの死を打ち破ってわたくしたちを神の顔の前に生かすため、やがて来てくださいます。聖書において信じるとは神の業を待ち望むことです。神さまは、死んでも失われない希望を据えてくださいました。わたくしたちはこの実現へと向かって礼拝をおささげして参るのです。