「聖書の言葉が実現するために」
マタイ26:47〜56

 今朝の説教より 

「聖書の言葉が実現するために」マタイ26:47〜56 

これまでイエスさまは弟子たちに言ってきました。「御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている(16:21)」と。この夜、ユダはまさにその通り祭司長や民の長老たちが遣わす群衆を手引きします。そして、人々はイエスさまを捕らえ、指導者たちの手に引き渡すのです。

イエスさまは、ご自身が引き渡され十字架につけられ三日目に復活させられるのが、旧約聖書に「必ずこうなる」と書かれたとおりだと言います。イエスさまはこの時父なる神さまにお願いし十二軍団以上の天使を送ってもらうこともできました。ですがなさいません。神さまが聖書を与えた思いは別にあり、この実現に向けて自らを明け渡してゆきます。

人間の思いとしては、聖書の言葉が実現するのなら、自分にとって素晴らしい結果となるよう神に期待します。ただ、イエスさまは陰謀や私利私欲といった人間の思いが幅を利かせる仕方で十字架の死へと追い込まれ、命を失います。神さまはこれにより聖書を与えたご自身の思いを実現するのです。

望み通り上手く事が進む私とのみ、神さまは共にいるのでしょうか。むしろ神さまは、人間が抱く思惑や目に見える現実を超えて、すべての者を祝福するという約束を実現します。この神の思いの実現へと向かって道を行くわたくしたちに、復活のイエスさまはいつも伴ってくださるのです。