「陰府にまで降られた神の子」
マタイ27:45〜61
今朝の説教より
「陰府にまで降られた神の子」マタイ27:45〜61
使徒信条は、十字架で死んで葬られたイエスさまが陰府にくだったと告白します。旧約聖書において死は誰もがたどるべき道で、その先に期待できるものはありません。陰府は死んだ者の行き着くところで、造り主である神との交わりを絶たれた状態を指します。
ただ、マタイによる福音書はイエスさまが十字架で死ぬ間際に「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫んだのを記します。イエスさまは神さまとの交わりを絶たれ、人の手が及ばない死を遂げねばなりませんでした。
イエスさまは何ら希望なく陰府にくだる一方です。このときイエスさまは神に見捨てられた死を遂げたけれど、死んでそのまま神のもとに帰ったというのではありません。苦しんで死んだけれど、死んで苦しみから解かれたという話でもなかったのです。むしろイエスさまは、苦しみの果てに何ら希望なく死なねばならない人間の地平へと降り立つのです。
今やわたくしたちは死んでも陰府にくだるのではありません。陰府にくだり神との交わりを絶やされるという道はなくなりました。イエスさまは復活され、死と陰府に対する勝利をおさめ、神の手の及ばぬところなどないことを示します。わたくしたちはこの知らせのもと神さまを礼拝し、復活のイエスさまと一つにされ、神との交わりを確かにするのです。
