「おとめマリヤより生れ」
ルカ1:26〜38

 今朝の説教より 

「おとめマリヤより生れ」ルカ1:26〜38 

使徒信条は御子イエスさまの箇条において「主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ」と告白します。その主とは「神の独り子、我らの主」と直前で告白する御方です。使徒信条は、永遠の神の独り子としています御方が、聖霊によって処女マリヤに宿りマリヤより生れた、と告白するのです。

どうして、天地創造の前から父・子・聖霊なる神の一位格としています御方が人間としてわざわざマリヤから生れねばならなかったのでしょう。そもそも十字架で死んだナザレのイエスが天地創造の前からいますなど、突飛な話と聞こえます。ただ、これは何も新しい話ではありませんでした。フィリピの信徒への手紙に記されたキリスト賛歌(2:6)において既に登場します。これが書かれた紀元56年頃にはもう礼拝で賛美されてきたことでありました。

この賛歌においても信条においても見ますのは、御子がへりくだってくださったということです。まず御子はマリヤという無名だった一女性に宿り、その体から産まれることを良しとされました。また御子は、死を免れない人間として生まれることへとへりくだられました。そして、死を免れないわたくしたちをも神の子として永遠に生かすために、御子はへりくだってご自身の教会によってわたくしたちをご自身と一つにし、天の父なる神さまの顔の前へと引き上げてくださるのです。