5/10「古い自分を脱ぎ捨てる」
エフェソ4:17〜24

(今朝の説教より)

ふる自分じぶんてるエフェソ4:17〜24

パウロは、わたしたちがふるひとてるようすすめますふるひととは、つみ支配しはいされ自己中心じこちゅうしんかみはなれてきようとするひと(アダム)ぞくすることをします。ひとはいくら自分じぶん正当化せいとうかし、自分じぶんちから知性ちせいきようとしても、自分じぶんすくえません。パウロは、ふるひと知性ちせいてもそれがくらく、こころかたくなでかみいのちからとおはなれている、と指摘してきす(18)。そして、わたしたちがこのふるひとて、こころそこからあらたにされ、かみさまにかたどってつくられたあたらしいひとけるようすすめるのです。

このあたらしいひとというのは、キリスト・イエスさまにぞくかみさまへとかうひとのことです。イエスさまはわたしたちをあらたにつくるため、十字架じゅうじかになわれました。イエスさまの十字架じゅうじかは、わたしというふるひと十字架じゅうじかにつけられてぬことでした。そしてイエスさまは復活ふっかつされたご自身じしんによってこのわたしをあらたにつくげてくださるのです。

かみさまは洗礼せんれいによりイエスさまうちにあるかみいのちへとあたらしいひとをわたしたちにせてくださいます。わたしたちがあたらしいひとるのはかみさまのめぐみによるものです。イエスさまご自身じしんこのかみめぐでありイエスさまは自身じしんわたしひとつにむすんでくださりただしくきよ生活せいかつおくるようしたがわせてくださいます。わたしたちはこの御方おかたによってかされ、すくわれ、あゆませていただくのです。