「大いなる力と栄光」
マタイ24:15〜31


今朝の説教より(4/26) 
「大おおいなる力ちからと栄光えいこう」マタイ24:15〜31

イエスさまは、エルサレムの都みやこが陥落かんらくし、神殿しんでんが崩壊ほうかいする日ひが来くることを予告よこくします。これは紀元きげん70年ねんローマ軍ぐんがこの都みやこを攻せめ滅ほろぼすことで実現じつげんしました。マタイによる福音書ふくいんしょが書かかれた教会きょうかいには、この難なんを逃のがれて来きた者ものもいます。神殿しんでんは崩壊ほうかいしましたが、これで世よの終おわりとはなりませんでした。そしてイエスさまおっしゃったように、このお方かたが大おおいなる力ちからと栄光えいこうを帯おびてやってくる日ひを目指めざします。

わたくしたちにとって、自分じぶんの城しろが陥落かんらくするという事態じたいはあってならないことです。そこには悲かなしみがあり自みずからの死しがあります。ただ、その私わたしの死しを越こえて私わたしを生いかす、まことの王おうが与あたえられました。

イエスさまはこののち十字架じゅうじかで命いのちをささげ、わたくしたちを神かみのものとする身代金みのしろきんとなられます。そして、神かみさまはこのお方かたを死者ししゃの中なかから復活ふっかつさせ、わたくしたちの死しに対たいする勝利しょうりを収おさめてくださいました。神さまはわたくしたちに洗礼せんれいを授さずけ聖餐せいさんにあずからせ、イエスさまの命いのちに生いかしてくださいます。


それは、私わたしという城しろを明あけ渡わたし、このお方かたを王おうとして迎むかえることを意味いみします。そしてやがてイエスさまはご自身じしんがまことの王おうとしてやってくる日ひをもたらしてくださいます。「そのとき、地上ちじょうのすべての民族みんぞくは悲かなしみ、人ひとの子こが大おおいなる力ちからと栄光えいこうを帯おびて天てんの雲くもに乗のって来くるのを見みる」と言いいます。それがいつどのようなものか、予あらかじめ知しらされてはいません。それでも、贖あがなわれたわたくしたちはこのお方かたを喜よろこんで迎むかえ、そのご支配しはいを全まっとうしていただくのです。