魂を清める御方


今朝の説教より(
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たましいきよめる御方おかたマタイ23:22〜36

イエスさまのきびしい言葉ことばつづきます。律法学者りっぽうがくしゃやファリサイ人々ひとびと薄荷はっかなどちいさなみのりの十分じゅうぶんいちをもささげて律法りっぽう遵守じゅんしゅしようとする。その一方いっぽうで、となびとへの正義せいぎ慈悲じひ誠実せいじつはないがしろにしている。また、さかずきさら外側そとがわはきれいにするが、内側うちがわ強欲ごうよく放縦ほうじゅうちている。そうやって外側そとがわひとただしいようにながら、内側うちがわ偽善ぎぜん不法ふほうちている。イエスさまは指摘してきしますが、それは一人ひとりひとりがそうあってしくないからです。

イエスさまは、かみ御前みまえつはずのたみ限界げんかいをここにしめします。このたみは、かみさまがおつかわしになった預言者よげんしゃたちを迫害はくがいころしてきました。それが旧約きゅうやく聖書せいしょ一貫いっかんしてかたられていることです。そしてこのとき、このたみかみとしてやってたイエスさまをれず、十字架じゅうじかへとんでゆくのです。

わたくしたちは外面がいめんをきれいにできたとしても、内面ないめんをきれいにできるわけではありません。ととのった儀式ぎしき気持きもちをあらたにされても、たましいえることはできません。それは旧約きゅうやくたみもそうです。このためイエスさまは十字架じゅうじかでご自身じしんいのちささげます。これが、かみさまがわたくしたちのたましいきよめるためのささものであることを、かみさまはイエスさまをから復活ふっかつさせておしめしになりました。かみさまはわたくしたちへ誠実せいじつ慈悲じひ正義せいぎまっとうし、イエスさまによってわたくしたちのたましいきよめてくださるのです。