開かれた天の国
「開かれた天の国」
天の国(神の国)は、死を越えて私を支配する神のご支配です。天の国は、イエスさまにおいてやって来ました。復活のイエスさまによって、弟子たちをはじめ人々の前へと、差し出されて来たのです。
一方、律法学者やファリサイ派の人々には基準があります。自分の基準に従い、自分や相手が天の国にふさわしいかどうか判断します。つまりは、自分が基準になってしまい、自分が神になってしまいます。そうやって、自分が設けた基準を手放せないでいるうちは、神さまを私の主とすることにはなりません。設けた基準にかなうかどうか、自分が主となって判断するからです。
イエスさまは律法学者やファリサイ派の人々を指して言います。天の国に「自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない」。これでは自分の思いに囚われたままです。そしてその自分には、自分を救う力などないのです。
この囚われから救い出すために、イエスさまは身代金としてご自身の命を十字架で献げてくださいました。命をかけて、天の国をわたくしたちのために開いてくださったのです。ここに、イエスさまの喜びがあります。ですから何としても、自分の思いやこだわりや基準を手放して、イエスさまへと自らを明け渡して行きたいのです。そして自分の思いを手放せたとき、自分へと天の国が開かれ、この身を迎えてくれた天の父を、わたくしたちも知るのです。