全能の父

今朝の説教より(3/1) マルコ14:32〜39

「全能ぜんのうの父ちち」

イエスさまは、全能ぜんのうの父ちちなる神かみさまに叫さけびます。「アッバ、父ちちよ、あなたは何なんでもおできになります。この杯さかずきをわたしから取とりのけてください。」イエスさまはこれから死しの杯さかずきを飲のまねばならない。だからこの杯さかずきを取とりのけてくださるよう祈いのるのです。

ただこの後のち、イエスさまは指導者しどうしゃたちが遣つかわす者ものたちによって逮捕たいほされます。そして、この夜よるのうちに不当ふとうな裁さばきを受うけ、明あくる日ひに十字架刑じゅうじかけいに処しょせられる。イエスさまは死しの杯さかずきを飲のまねばなりません。

でも、もし神かみさまが全能ぜんのうであられるなら、なぜ神かみの子こイエスさまを殺ころされないようにできなかったのでしょうか。そして人々ひとびともイエスさまが神かみに呪のろわれた者ものとして死しんだことを、間違まちがいなく確認かくにんしたのです。

実じつに、全能ぜんのうの父ちちなる神かみさまは、イエスさまから十字じゅうじ架かの杯さかずきを取とりのけることはありませんでした。それでも、神かみさまはお造つくりになった世よを救すくう、死しを打うち破やぶる救すくいの道みちを、イエスさまによって拓ひらいてくださいました。それはイエスさまを死しから復活ふっかつさせることによってです。ですから、神かみさまが全能ぜんのうである、ということは何なにか、人ひとが望のぞむことを神かみさまが何なんでもしてくれる、ということを意味いみしません。むしろ神かみさまは、お造つくりになった世よへとご自身じしんの存在そんざいを示しめし、世よの一人ひとりひとりを自みずからのものとして救すくう。使徒しと信しん条じょうは、人間にんげんの思おもいを超こえて神かみのこのお計はからいを実現じつげんさせることについて神かみは全能ぜんのうである、と告白こくはくするのです。