キリストの愛に満たされる


今朝の説教より(2/8)
キリストのあいたされる

パウロは、監禁かんきんされ不自由ふじゆう状況じょうきょうにありながら、自分じぶん苦難くなんというのが、教会きょうかい人々ひとびとちからづけ、かみさまの栄光えいこうあらわすためである、とかたります。パウロは落胆らくたんする人々ひとびとはげますために手紙てがみき、教会きょうかいのためにしのいのりをささげます。しのいのりとは、たとえ自分じぶんではなにもできない状況じょうきょうなかであっても、かみさまのまえほかひとのためにいのることです。

イエス・キリストは自分じぶん十字架じゅうじかにつけた人々ひとびとのためにいのりました、「ちちよ、かれらをおゆるしください。自分じぶんなにをしているのからないのです。(ルカ23: 24)」キリストは復活ふっかつされ、いまかみさまのみぎいのっておられます。このおかたが、わたくしたちをかんぜんすくおうとまねくのです(ヘブライ7:25)

パウロはこのとき御父おんちちまえにひざまずいていのります。御父おんちちがエフェソの信徒しんとれいあたえ、うちなるひとつよめ、こころうちにキリストをまわせてくださるように。そのかたはキリストのちからによってささえられるかたです。

パウロはわたくしたちが、キリストの自己犠牲じこぎせいあいざし、この土台どだいにしっかりつことをねがいます。わたくしたちが不安ふあんおそれに支配しはいされずにきることができるように、です。パウロはこのため、わたくしたちのことをもいのります。わたくしたちはこのようないのりにささえられ、わたくしたちもたがいにいのり、かみ賛美さんびしてまいるのです。